ちょんまげ塚とは? お侍さんのあのちょんまげ(丁髷)ですが、どういう謂れがあるのか?

 平塚の馬入川のほとりに珍しい塚がある。 その名も『ちょんまげ塚』です。 「ちょんまげ」とは、侍さんの頭のあのちょんまげのことです。 「ちょんまげ」は漢字では「丁髷」と書きます。 ですので、正式には『丁髷塚』です。

 由来(ウィキペディア記載)はこうです。
 1838年、寒川神社の神輿が春に大磯で行われる国府祭(こうのまち)に渡御した帰りに、一ノ宮の寒川神社の氏子と四ノ宮の前鳥神社の氏子とが相模川の渡し場で争いを起こし、寒川神社の御神体(又は御輿)が川に落ちて行方不明となった。(数日後に発見され、茅ヶ崎の浜降祭の起源となったという説もある)。争いは裁判となり、代官江川英龍は四ノ宮の氏子16名に打首断罪の判決を下したが、処刑の日に代官はその丁髷だけを斬り落とし、打首に代えたという。丁髷は連光寺に埋葬され、丁髷塚の名を残していたが、1957年平塚市観光協会は供養碑を建てた。連光寺の西側(平塚駅側)の墓所の片隅にある。

 この代官様の処置は、大変な英断である。 16名もの尊い命が助かったという結末です。
また、今では、茅ヶ崎の浜降祭として、盛大に行われているが、神輿を担いで清めを行う儀式。 この一宮寒川神社の神輿が起源であるというのは、納得です。 今の国府祭でも、浜降祭でも、神輿を担いでの移動は、非常に短く、キセルのように、途中はトラック移動しているようです。 
 この丁髷塚の場所は、平塚市榎木町の連光寺にあります。
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