大山詣では江戸庶民の娯楽だった。道中の神奈川宿や江の島観光を経て大山へ向かうものだった。

 朝ランの最中に見かけた大山道の標示版、河原不動尊に、田村通り大山道の解説があり、興味があったので調べました。
 大山詣りは江戸時代に頻繁に行われた。江戸からもたくさんの人が相模国の大山(標高1,252m)にやって来た。 大山にある『大山石尊大権現』は博打と商売にご利益があるため、江戸時代には大勢の江戸っ子たちが参詣に押しかけた。 当時の交通手段は当然 徒歩であり、各地からの往来のコースがあったが、中でも利用者が多かったのが「田村通り大山道」です。相模川の田村の渡しを通るルートです。 現在の神奈川県藤沢市から大山へ向かうものです。 江戸からは、安全な東海道を利用して江の島観光へ、そして藤沢からこの田村通り大山道で、いざ大山へという訳です。 江戸の庶民にとっては、大山詣と江ノ島詣のセットが娯楽の一つとあった。古典落語の演題に『大山詣り』もある。 落語の内容は、江戸庶民の参加者の一人である酒乱の熊五郎が引き起こすトラブルが発端です。 熊五郎は坊主頭の仕打ちを受ける! 仕返しにかみさんを全員、坊主頭にさせるという結末の話です。「お山は晴天、家へ帰ればみんなが坊主、お毛が(怪我)なくっておめでたい」という落ちです。
 藤沢からのルートの詳細は、 東海道藤沢宿四ツ谷(神奈川県藤沢市) - 一ノ宮(高座郡寒川町) - 田村の渡し(相模川) - 横内(平塚市) - 下谷(以降、伊勢原市) - 伊勢原 - 〆引 - 石倉 - 子易 - 大山 
 当時は相模川の田村の渡しで眺めた大山は、今では神川橋の上から大山を見渡す景色です。三角形の山容は分かりやすい大山の姿ですね。
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