鯉という漢字の由来を知っていますか?本来中国に発する語源ですが、日本的な由来の説を聞いて納得!

 鯉という魚の話です。川魚ですが、綺麗な水で養殖した鯉は、意外と美味しいですよ。 コイを漢字で書くと「鯉」と書きますが、次のような説があります。 鯉の体には縦に36枚の鱗があることから、36町は1里に相当するので「里」を用いたとする説。 生命力は極めて強く魚にしては長寿の部類で、平均20年以上でまれに70年を超す個体もある。
 海から離れた地域では古くから貴重な動物性タンパク源として、将軍や天皇に出される正式な饗応料(きょうおうりょう))や日常的にも祝い事の席でも利用されてきた。
 群馬県には富岡製糸場などがあり、繭から糸を引いた後のさなぎが鯉のエサとして与えられてきたため、明治時代以降、蚕糸業の発達とともに鯉養殖も盛んになった。内陸県のトップ、群馬県の鯉の養殖生産量は海面をもつ茨城、福島に続き全国第3位。内陸県では群馬に次いで長野県も、上位を占めている。
  内陸の山間部である山形県米沢市は冬場は雪に閉ざされ、住民はタンパク質が不足がちな食生活をしていた。タンパク質を補う目的で上杉鷹山は1802年に相馬から鯉の稚魚を取り寄せ、鯉を飼うことを奨励した。各家庭の裏にある台所排水用の小さな溜めで台所から出る米粒や野菜の切れ端を餌にして蓄養した。現在の養殖では、主に農業用の溜め池が利用されるほか、長野県佐久地域では稲作用水田も利用されている。
 中国では、鯉が滝を登りきると龍になる登龍門という言い伝えがあり、古来尊ばれた。その概念が日本にも伝わり、江戸時代に武家では子弟の立身出世のため、武士の庭先で端午の節句(旧暦5月5日)あたりの梅雨期の雨の日に鯉を模したこいのぼりを飾る風習があった。明治に入って四民(=士農工商)平等政策により武家身分が廃止され、こいのぼりは一般に普及した。現在ではグレゴリオ暦(新暦)5月5日に引き続き行なわれている。

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