家康も愛した熱海の湯は、この大湯(間欠泉)であったのかな!?
ホテルニューアカオの錦ヶ浦の景勝、 温泉”スパリウムニシキ”、美味しい食事をたっぷりと堪能して、チェックアウト11時までの過ごし方として、ホテルの送迎バスに乗り、熱海駅周辺の散策を行った。古くからの湯治の地であり、地名は「阿多美」であったが、海から熱い湯が湧き出ていたことから「熱海」とされた。1604年には徳川家康も来湯している。大湯(大湯間歇泉)は世界の三大間欠泉とまで謡われていたが、大正13年に止まった。現在は人工の間欠泉として整備され現在に至っている。この山沿いの温泉は硫酸塩泉の源泉が多いが、海岸沿いでは塩化物泉の源泉が多く、そしてボーリングによる源泉開発が多く、地下の線脈に海水の混入量が増えたため泉質が変わったようです。江戸時代に栄えた銀座通りの源泉はこの大湯(間欠泉)であった。
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