日光街道の目当ては東照宮!家康は死んでなお神となり世の安泰を願ったということか。
日光街道歩き旅は東照宮へのお詣りである。日本橋からはるばる140㎞の道のりを当時のスタイルに合わせたかのように自分の足で歩いての参拝でした。道中の体験も多々あるが、日光に近づくに連れ、杉並木歩きを堪能しながら、8日目に東照宮にお詣りできた。久能山東照宮へも参拝したが、日光東照宮は以前にも参拝しているが、今回さらなる感動を新たにした。写真もたくさん撮った!カメラの電源切れを起こす程に。家でじっくり見ながら記憶をたどることが出来るのでこれまた嬉しい限りです。東照宮豪華さの極め付きは、陽明門かな!修復を終えて一段と輝いていた。歴史的にはWiki参照:江戸時代の元和2年4月17日(1616年6月1日)、徳川家康は駿府(現在の静岡市)で死去した。遺命によって遺骸は直ちに駿河国の久能山に葬られ、同年中に久能山東照宮の完成を見たが、翌・元和3年(1617年)に二代将軍秀忠が天海僧正に命じ下野国日光に改葬されることとなった。家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。金地院崇伝の日記である『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。
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